いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です。今週も明るく元気に通塾してくれた塾生・体験生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!
勉強に価値はあるのか?というお話
夏季講習のご案内を作成する際に最も悩ましいのが、受講料の設定です。
弊塾での勉強に“今は”どれくらいの価値があるのか。そもそも、勉強する機会の提供に“今は”どれだけの価値があるのか。価値の根拠や裏付けをめちゃめちゃ探したり考えたりして、受講料を毎年決めています。
・・・あとは、近年の物価高も少しばかり気にします(汗)。お米が高いじゃないですか!コアラのマーチやパイの実を100円未満で買えるお店がガッツリ減ったじゃないですか!(←個人的な一大事)
「時間かけても金かけない!」
『踊る大捜査線 THE MOVIE』の名台詞は、勉強量にこだわる弊塾にとって、受講料決定の方針の1つでもあります!
このように受講料の決定に大きく関わることなので、私は「勉強する意味・勉強することの価値」を頻繁に…というか常に考えております。
ここから言う「勉強」とは、国語・数学・算数・英語・理科・社会の学習を指すとします。
それらの授業を見たり聴いたり、復習をしたり宿題をしたり、その行動を習慣付けたり。その行動とそれによって定着する知識や習慣には、どんな意味や価値があるのでしょう。
オトナたちの中にはきっと、学校の勉強は無意味で無価値だと話す方もいらっしゃるかもしれません。また、勉強も大事かもしれないけど部活をやり切ることの方が大事だと話す方もいらっしゃるでしょうし、学校の事よりも学校の外での経験の方が大事だと話す方もいらっしゃるでしょう。
そして、どんな経験も大事だけど勉強に勝るものは無いと考える方もいらっしゃるでしょう。
このように勉強に対して人それぞれなのはオトナたちの言い分が、勉強・部活・家事手伝い・遊び・恋愛・友人関係など、過去の生活のなかで同時進行していたもののうち、良くも悪くも大きな影響を受けて今の自分をかたち作っているものに焦点をあてているからです。その影響の種類や受け方は、社会的な背景も大きく関係します。
例えば、私は生粋の“ゆとり世代”です。通産省(現経産省)が「詰め込むだけの勉強をしてきて知識ばかりが備わった人材よりも、もっと柔軟に頭を使える人材が必要だ」と発したことにより、文科省が「勉強以外にも目を向けてもらう時間が必要だ」と下し“ゆとり教育”はスタートしました。教科書は薄くなり、学校の授業では総合学習(現在の探究学習の前身)が導入されました。大学入試では有名私立大からAO入試(対話重視型・書類論文重視型の試験)が始まり、広がりを見せました。高校に「総合学科」が生まれたのも90年代のこの頃です。
ゆとり世代は「勉強以外にも大事なものがある、勉強だけ出来ても仕方ない」と上で謳われ、挙句「この世代は学力低下したな」と上から言われた10代・大学生活を過ごした人間でもあります。そして、ゆとり世代はリーマン・ショックの影響をもろに受けた新社会人でもあります(泣)。
なので私は「結局大きな価値があったんかい!(笑)」と突っ込めるほどに、勉強には大きな価値があると考えている人間です。「勉強できなくても大丈夫」と嘘でも言えなくなった瞬間を見てしまったゆとり世代から言わせて頂くと、勉強はシンプルに社会性でありセーフティネットなんです。
最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!