経験を積まないと、刺さらない言葉も多いというお話[公式LINE2024.01.20]

経験を積まないと、刺さらない言葉も多いというお話

「克己」:意志の力で、自らの欲望や邪念にうちかつこと。克己心,克己復礼

この言葉を初めて見聞きしたのは、学校の校訓だったか、お寺での説法だったかは鮮明には覚えていませんが、子どもの頃に見聞きした覚え(感覚?)が確実にあります。

ただ、そのときは、「克己」という言葉は、自分の心にも考えにも何も響かなかったのでしょう(笑)

先日、この「克己」という言葉をラジオで聞きました。
ラジオのパーソナリティは、シンガーソングライターの松任谷由実さん。小学生や中学生からすれば「誰?」ってなるかもしれません(笑)
ジブリ映画『魔女の宅急便』の歌を歌ってる人…で多少は通じるのでしょうか。長年にわたってテレビ放送されるジブリ映画は本当に偉大です。

そんな『魔女の宅急便』の歌の人は、「起きるのがつらい朝には、克己!と唱えて起きる」らしいのです。

克己かぁ・・・「己に克つ」で克己。しかもここで使う“かつ(克つ)”は、競い事や試合などの勝負に“かつ(勝つ)”とは違って、困難なことを乗り越える(克服)という意味での“かつ”。なんと!実に素敵な言葉!

聞いて即、そう思いました。というか、やっとそう思えたのです(笑)

聞いたこと・見たことはあったけれど、見聞きした子どもの頃は何も響かず。いま改めて聞いて、心に刺さる感覚で響いた「克己」です。

なぜ見聞きした子どもの頃は何も響かず、今になってやっと響いたのでしょう。

いつもなら…
「もちろん、知識量が原因です!」
などと、画面越しにでも伝わるドヤ顔で言うところですが、

今回は知識は関係ないと考えています。
というのも、克己の言葉の意味・漢字の意味は、学校の校訓だったかお寺の説法だったかで、先生もしくは住職さんから聞いていたからです。

では、なぜ「克己」は今になって心に響いたのか。
それは、子どもの頃には無かった「経験」が今はあるからだと僕は思っています。
「克己」を初めて見聞きしたときの子どもの自分に比べて、今の自分は、自分のことを自分で意識する機会を、たくさん通ってきました。

それは、自己表現の機会であったり、自己分析の機会であったり。自分とは何ぞや?どうすればかっこよく見えるか?など、自分の長所や短所を自分で意識して、それを出したり逆に隠したり。そんな機会がこれまでたくさんありました。

そして、子どもの頃に比べて、より多く、より大きな困難を、身を以って乗り越えたり、乗り越えられなかったりもしてきました。それは高校受験や大学受験であったり、就職活動であったり、就職後の職場や人間関係であったり。そこで初めて「妥協」と「逃避」、「方向転換」の違いとその善し悪しに悩むこともありました。

それらを経た今の自分だからこそ、「克己」という言葉が、心に刺さったのだと思います。

世の中には、素晴らしい意味をもった素敵な言葉がたくさんあります。
凡事徹底、一刻千金、万里一空…それらは自分の信念になったり、生き方そのものになったりもします。それらに出会えたときに、「そうだよね!それは大事な考え方だよね!」と思えるようになるためにも、経験を積んでおくことが大切なのだと改めて思うことができました。

最後まで目を通して頂きありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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