難しいと思っているものは本当に難しいのか?[公式LINE2024.05.25]

難しいと思っているものは本当に難しいのか?

今週からほとんどの中学生が前期中間テスト(1学期期末テスト)の対策期間[テスト3~2週間前]に突入しました!塾生たちにも改めてお伝えしておりますが、このテスト対策期間はレギュラーで出席する曜日・時間帯に加えて、他の曜日・時間帯にも出席する(以下、イレギュラー出席)ことが可能です!今週も何名かの塾生が自分からイレギュラー出席をしてテスト対策に励んでおりました。素敵です!
機会は有限ゆえに使えるときに進んで使うことをお勧めしている旨を、再度、塾生たちにお伝えください!!

さて。そんなテスト対策期間中、中学2年生に数学の等式変形だったか式の計算だったかの問題を解説していたとき、その問題を間違えていた塾生が「シンプルだ…」と、ふと口にしたんですね(笑)

実にいいな、実にいい気付きだな、と思いました。

その気持ちに乗っけて、その時その塾生にも伝えたことを今回は少し膨らませてお話しさせてください。

解いている問題または解こうとしている問題を「難しいもの」に仕上げているのは、その問題を“ある条件下”で取り組んでいる自分自身であることが多々あります。

「自分から問題を難解にしている」と聞いたり言われたりすれば、おそらく多くの中学生、もしかしたら高校生でも「?」となるやもしれません。

例として数学のお話をさせてください。
数学とは「手段」であり、その本質というか根っこにあるものは「いかにして複雑なモノを、ルールに沿ったシンプルな流れでシンプルな形状に着地させるか」だと僕は思っています。生活の中で複雑に見えたり想像が困難だったりするものを、自然科学の常識を根拠として、「そういうことか」と一目で理解できる予測へ変換する、それが数学かなと。

だから、数学とは「難しい・複雑」からほとんど真逆の「シンプル」を求めるためのシンプルなものなんです。しかし、そのシンプルさには“ある条件下”でなければ気付くことはできません。それは、数学のなかでのルールを知っているか・知識がある(覚えていて使える)かどうかです。
数学のルールや知識は、シンプルさを求めるためのツールです。ツールが無ければ「難しい」と思うのは至極当然です。大きさがバラバラな木材だけ与えられて、メジャーもノコギリも無い状況下で「簡単なイスを作れ」と頼まれているようなものです。

長々と語っていますが、詰まるところ、勉強における「難しい」の原因の殆どが「知らないから」なんです。塾生には早いうちにそれに気付いてほしいと思っています。テストの点が悪かったとしても、決して能力の劣りなんかではありません。知っていることが少な過ぎるだけです。

少し話を逸らせますが、今回の考え以外にも「数学はこうではないか!」という考えはたくさんあります。あるゲームプログラマーは「数学は考え方のカタログである」と言うし、ある音楽家は「数学は芸術の基である」とも言います。
モノに対する見方・考え方とはブッフェのようなもので、どれを選ぶかどの順番にするか、今日はどれに偏るかはめちゃくちゃ自由です。
なので、塾生の皆さんがテスト対策が思い通りに進まない時は、その時だけ、楽することが好きな私の考えに偏ってほしいと思っています。

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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