客観的な「やる気」も行動量次第で決まってしまうというお話[公式LINE2025.06.07]

いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です。今週も明るく元気に通塾してくれた塾生・体験生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

客観的な「やる気」も行動量次第で決まってしまうというお話

前回のLINEの後半は、「やる気を起こしたいなら、まずは動きましょう!」というお話でした。
行動で感情は変わるもの、または感情とは行動の後からついてくるもの。だからテスト勉強においても、やる気云々ではなく先ずは動きましょう、というお話です。
そのLINEを投稿した先週の土曜日は、前期中間テストの対策期間ということもあり、普段の土曜日よりも多くの中学生が、自習のために塾に足を運んでくれていました。

ちなみに普段の土曜日は人数でも勉強時間でも高校生の利用率の方が高いです(笑)

テスト対策のために塾に来てくれていた中学生を見ていると「やる気満々だなあ」なんて言いそうになりましたが、「客観的なやる気も行動量次第か?」と、ふと思いました。
確かに、自身の体験においてもその覚えは多々ありました。
通常の出社時間よりも早い時間に出社したときや仕事で徹夜をかましたとき、そんなときは決まって上司から「やる気があるね~」的な言葉を頂いていました。
実際にやる気があったかは微妙ですし、頂いた言葉にはスーパー苦笑いだったと思います(笑)
もっと遡って、学生時代のアルバイトでも、「俺はいつでもシフトに入れます!いつでもヘルプに行けます!」みたいな“フッカル要員”は「やる気のあるヤツ」と見なされていたように思えます。
勿論、当時の上司やバイト先の責任者が、私やフッカル要員を見て本当に「やる気のある人」だと思っていたかどうかは分かりません。しかし、シンプルに客観視をすれば「めちゃめちゃ動けているから、やる気はあるのだな」と思うのは割と自然なことです。
中高生で言えば、部活動の時間以外で自主練をしている生徒や、朝早く学校に来て無言で勉強をしている生徒は、やる気のある生徒と見られがちです。彼らに本当に「やる気」があるかどうかは客観視においては関係ありません。

全然動いていないのに、やる気はあると言い張る人や、どうすれば効率的か考えていると言い続けるだけの人よりも、「雑だけどめちゃめちゃ動いてくれる人」の方が社会からは求められていると、自分でお金を稼ぐようになってからは、特にそんな気がします。なので、「客観的なやる気」も社会を生き抜く上では重要な要素であると私は考えています。

学校の定期テストは本当に「量」次第です。どれだけ覚え込んで、解き込んできたか。それだけの話なので、そこにはどんな言い訳も通用しません。とどのつまり、めちゃめちゃ動けたもん勝ちなのが定期テストです。そういった側面では、定期テストに向けてめちゃめちゃ頑張れるようになることは、客観的なやる気も必要な社会へ出る手前、大いに意味があると私は思っています。好き嫌いに関係なく、自分に課されているものに必死になれるかどうか。そこで見せる(魅せる)「客観的なやる気」は、おそらくは、社会で求められているものの1つです。

令和の時代、テスト勉強や受験勉強のために睡眠時間を削ることを勧めるのは、たぶん御法度です。求めるべき量の種類が時間ではなく、物理的な量だと明白になった時代だからです。
しかしながら、テスト期間に「今日は寝れない…」と嘆く高校生には、変わらず逞しさを感じます(笑)

最後まで目を通して頂きありがとうございました!来週も宜しくお願い致します!

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