言葉を調べる習慣は必要か?というお話[公式LINE2025.05.03]

いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です。今週も明るく元気に通塾してくれた塾生・体験生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

言葉を調べる習慣は必要か?というお話

前回は「国語」について、次のことをお話いたしました。

①国語の得点の高い低いに読書の習慣の有無はあまり関係ない
②国語の読解問題は、論理的に(≒主観を潰して)「本文から正解を探す」問題
③本文から正解を探せるようになるために漢字の学習で語彙力を補う必要がある
④本文から正解を探す練習を積まなければならない

今回も「国語」についてお話させてください。今回の内容は「言語学習」という点では「英語」の勉強姿勢にも関係してくると思います。

国語の「正解探し」において、③にもあるように、語彙力の必要性はかなり高めです。語彙力とは、単語の意味を知っているというだけでなく、その単語を状況に応じて正確に使える能力を指します。
例えば、ある政治家が「怒り」を伝えたいとき、仲間内では「僕は怒ってるんだよ!」で良いでしょうが、記者会見等ある程度フォーマルな場所では「私は憤りを感じています」に言い換えるでしょう。しかし、これを「私は遺憾に思う」に言い換えるのは「怒り」を伝える上ではおかしい。これが、ザックリですが、“語彙力”です。

国語の問題を解くにあたって語彙力が不足していると本文に何がどう書いてあるのか、その内容も構成も読み取り難くくなります。それにより本文を読み進めるスピードが遅くなり、正解を探すスピードも遅くなります。勿論、正解探しの精度も上がりません。
先日、高校の現代文で「本文の特徴として正しい文を選択肢から選べ」という問題で、私は本文をほとんど読まずに正解の選択肢を選べました。選択肢は1つあたり100字程度。正直自慢したいところですが(笑)、私の知る高校の国語の先生なら本文に一切目を通さずに、めちゃめちゃ速いスピードで正解の選択肢を選べちゃいます。だから自慢なんか当然できません(笑)解き方は色々あるやもしれませんが、私の場合は「語彙力を使って選択肢を絞っていく」一般的な国語の消去法です。「重層的」「臨場感」等の言葉の遣い方が適当ではなかったり、1つの文の前半と後半で整合性が取れていなかったりするものを除外していき、余ったもの又は保留にしていたものを選ぶと正解である、という流れです。
個人的に「消去法」は、最も簡単に、論理的に答えを導き出せる方法だと思っています。
私が好き過ぎる『名探偵コナン』にも登場します、「不可能なものを除外していって残った物が、たとえどんなに信じられなくても、それが真相なんだ」と。い~や~、ホント痺れますね!☆

…話を戻しまして(笑)、

やはり語彙力無くして国語の読解は難しいのではないかと思っています。
日頃、新しい言葉に出逢えているか・言葉を調べているか・遣い方を矯正される機会はあるか。これらが語彙力の養成には必要です。例え読書の習慣があろうとマンガを沢山読んでいようと、それが字面を読んでいるだけでは、言葉に出逢えていても遣える言葉にはなりません。
英語の勉強をしているときには、分からない単語が現れると当然のように単語帳や電子辞書、スマホを開いてその単語の意味を調べている。それをぜひ、国語の勉強中も日常生活の中でも当たり前に行うようにして欲しいと、私は塾生だけでなくすべての学生に対して思っています。

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。
来週も宜しくお願い致します!

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