いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です。今週も元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!
【卒塾生たちのお話と、僕の大昔話と、自己否定のお話】
昨日、5年前の卒塾生の保護者様とお話をできる機会をいただけました。聴けば何やら、その卒塾生は高専から国立大に編入して研究を続けるのだとか。「好きなことまっしぐら!」とはこのことかと思いました。そして、それとともに「今でも努力を続けているんだな」と胸が熱くもなりました。
これまでもたくさんの卒塾生の「続編」を本人や保護者様から聴いて、同じように胸が熱くなってきました。
大学進学とともに都会に活動フィールドを変えた者、努力に目覚め大学1年で宅建を取得した者、在学中にアメリカの学会に挑んだ者、教育業界に片足または両足とも突っ込んでくれた者たち、専門学校で学んだことをさらに深く広く学ぼうと挑戦を続けることを決心した者、興味と関心に心身を捧げその時その時を楽しみ続ける者。
何を聴いてもどれを見ても、すべてに「そっかぁ・・・」と、熱さと嬉しさのあまりニヤついてしまっていました。
結局のところ、選択した道を正解に導けるのは自分だけで、正解だと思うのも自分の勝手です。
大昔の僕の話ですが、警察学校を辞めることを自分の班の担当教官に申告するなか、今でも何を思ったのか分かりませんが「これ(辞めること)は正しいですか?」と聞いてしまい(笑)、「そんなことはオマエが決めろ」と即答されたのを、鮮明に覚えています(笑)
それからの生活はそれなりに必死でした。「嗚呼、辞めなければよかった」と絶対に思いたくなかったからです。たぶん周りからは「何で辞めちゃったの?」「勿体ない」などの言葉が飛んでいたかもしれません。でも、「自分の選択を正解にする」ことに必死だと、そんなモノは気にしていられないんです。「そんなモノを気にするようじゃ、まだまだ“暇人”だろ」と思っていました(笑)
これはこれで良い経験だったと思っています。ここ数年で常用ワード化した「自己肯定感」や「自己承認欲求」、これらを個人的にでも理解するに至る材料にもなったからです。
そんな勝手な理解の中での話になるのですが、ヒトは自己否定がめちゃめちゃ得意な生き物のようです。
理由はシンプルで、自己否定には新しいエネルギーや別方向からのエネルギーが必要ないからです。
殆どの自己否定は「自分のことを落とす否定」ではなく「今の自分が思う今の自分に留まろうとしている」だけのものです。だから簡単で、だからすぐに出来ちゃうんです。自己否定というよりは“前進否定”でしょうか。
哲学者で数学者のデカルトが言う「あらゆる事物は、いまあるのと同じ状態に止まろうとする傾向をもつ」という物理の基礎は、人間の考え・行動においても同様だと思っています。
自分の選択を多少の横やりや悪運を理由に「間違いだった」と留まることは何よりも簡単であるのに対して、自分の選択を正解に導くには、留まろうとするエネルギーよりももっと大きなエネルギーが必要になってきます。それゆえ、他者からの「エネルギー支援」を欲することもあるのでしょう。
今一緒に勉強を頑張ってくれている塾生の皆さんには、今を生き生きと過ごす卒塾生たちのように、自分の選んだ道を自分で正解に導ける力を存分に身に付けて、塾を後にして欲しいと思っています!
最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。
来週も宜しくお願い致します!