いつもお世話になっております。ウィンドミルの榊です!今週も明るく元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!!
「仕事とは何か?」という話から発展します
先日、「仕事とは何か?働くとはどういうことか?」について学生以外に話す機会がありました。
このメッセージを読んでくださっている皆様は「仕事・働くこと」について、どのように考えているのでしょう?
僕が初めて「仕事をすること」について考えたのは、遅いか早いかは分かりませんが、大学生の時です。アルバイトをして、生まれて初めてお金を稼いだ時です。そのときは勿論…
仕事=お金を稼ぐこと
でした。生活費のため、欲しいスニーカーを買うため、彼女へプレゼントを買うため。それらのお金を稼ぐためにアルバイトをしていたので「仕事をするということはお金を稼ぐ(稼げる)ということだ」と考えていました。お金を稼ぐために仕事をしに来ているのだから、楽しいとか遣り甲斐があるとか、残業がキツイとか、そんなことは関係ないと本気で考えていました。給料の割に合うかどうか、それだけでした。
社会人になって就職もすると、「仕事とは何か?働くとはどういうことか?」を話してくれる“人生の先輩方”が現れました。彼らは「仕事=お金を稼ぐこと」をもう少し細かく分解して話してくれました。彼ら曰く…
仕事=人の役に立つこと
らしいのです。困っている他者を探し出して、自分の貴重な時間と労力と精神力を投入して問題を解決する。そしてそれが感謝され、その感謝の対価として報酬が得られる。それが仕事をするということだと。
働く側にも少なからずのリスペクトを与えていたこの考え方に「なるほど、流石です」と、心の中で膝をつき、“人生の先輩方”に従順になったのは鮮明に覚えています(笑)
しかし、そこから数年間「人の役に立ったとはどういうときか?」と考えるようになりました。
「困っている人のために動いて感謝されたとき」と言ってしまうには、あまりに粗過ぎるのではないかと思えたのです。感謝されているか、役に立っているか、その判断は主観の域を出ません。客観的に判断できるのは、困っているかどうかだけです。
ここから得られた、「仕事とは?」に対する新たなベストアンサーが…
仕事=人がやりたくないこと
です。
誰かがやりたくないと思っていることをすれば、少なくとも、やりたくないと思っていた人からは「役に立っている」と思われるし、感謝もされるかもしれません。
100人の大人の中に「数学を子どもに教えたい人」は何人いるでしょう?「テレビ番組の制作をやりたい人」は何人いるでしょう?
おそらく100人中100人がやりたいと思うことはないでしょう。極少数の人がやりたい若しくはやっても良いと思うのではないでしょうか。
このように世の中にある「仕事」と呼ばれるものは、ほとんどの人から「やりたくないと思われているもの」だと言えるのです。
「私がやりたくないことを代わりにやってくれてありがとう!」という感謝の対価が給料だと言えば、人生の先輩方は怒ってしまうかもしれません(笑)
将来の道を選択するとき、
「人がやりたがらないことの中で、自分ならできることって何があるだろう?」
と考えるのも貢献的で面白いのではないかと、今は考えています。
なので、若いうち・学生のうちに「できること」を増やしておくことはとても大切なのです!
最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!