【言葉の違いは意識の違いで、意識の違いは行動の違い】公式LINE配信メッセージ[2022.10.01]

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いつもお世話になっております。ウィンドミルの榊です!今週も明るく元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

言葉の違いは意識の違いで、意識の違いは行動の違い

先日、とある試験を控える卒塾生の女の子が
「(試験に)落ちたらどうしよう。落ちそうです。」
と話していたので
「そう思ってんなら、たぶん落ちるね。」
と返しました。トゲのある冷たい返しだと思われるかもしれませんが、相手が小学生・中学生・その保護者ではない限り、僕は基本、男女を問わずオブラートに包まないで発言します。

「落ちると思ってたら落ちるし、何としてでも受かってやると思ってたら受かるよ。意識が違えば行動量も違うもの。落ちると思っている人は“落ちるための行動”しかやってなくて、受かってやるって思ってる人は“受かるための行動”をしているから。」
不安や心配が出るのは準備不足のあらわれで、準備不足ということは、準備が足りていない、即ち行動が足りていないということ。これが僕の持論です。

だから、卒塾生の女の子には冷たくも、先のような言葉を返したのです。ただ、もう5年くらい僕のトゲある発言に接しているので、僕がどんな言葉を返すかは予想できていたようです(笑)

そもそも僕がこんなトゲのある発言ができるようになったのは、子どもの頃に5つ6つ歳の離れた2人の姉から、口喧嘩でボッコボコにされ続けてきたからだと勝手に思っています(笑)

昨日も塾の外から
「塾に行っても何もならんけん…」
とオトナの声が聞こえてきたので
「(それは塾に行っても何もしなかったからだろ?)」
と瞬時にトゲのある発言が心の中で生まれました。改めてトゲの出るスピードに要注意だと感じました(笑)

しかしながら、そのおかげもあってか言葉を変換することは僕の習慣の1つとなっています。

「言葉の違いは意識の違いであり、意識の違いは行動の違いである。」
これも僕の持論です。言葉を換えられれば、意識を変えられて行動を変えられる、若しくは行動量を増やせる。僕はそう考えています。
だから、「試験に落ちそう」ではなく「試験に受かってやる」と言ってほしいのです。

流石に「試験に受かるに決まってる!」「合格まちがいなし!おめでとう!」と言うのは個人的にやり過ぎな気はしますが(笑)、最近は「予祝」も注目されているようです。予祝とは、本来は農家の方々が豊作を祈って農作業の豊作を模擬的に実演する、行事や儀礼のようなものだと聞いています。予め祝うことで未来がその通りの“良い結果”になると言います。その予祝がプロ野球チーム・阪神タイガースの中でメンタルトレーニングとして浸透しているらしく、複数のメディアで取り上げられていました。
この予祝も、言葉の変換による意識の変化と行動の変化に通じるものがあると僕は思っています。

言葉を換えることについて「プラス思考にならないといけない」と、何やら重大に考える方もいらっしゃるようですが、ただ1文字2文字換えたり、余計な一言を加えたりすれば良いだけです。
「500円しかない」を「500円もある」に換えたり、「忙しくて時間が無い」に「世界に求められているということか…」を加えたり。

はじめは「そんな恥ずかしいことできない」と思われるかもしれません。でも、こんな感じで言葉を変換できれば、今まで何でもなかったはずの1日が幸せだらけの1日に変換されるはずです!

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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