いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です。今週も元気に通塾してくれた塾生・体験生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!
過去を“所詮過去”と思えるようになるために、今も死ぬ気で頑張り続けるというお話
この前、定期テストの勉強をしている高校生が、その日に行われたテストに対して
「(テストが)返ってくるのが怖い」
と話していました。
こういう話を聴くとき、なかなかに淡泊な発想と返しをしてしまうのが“僕柄”で、人によっては冷血と思われるやもしれません。
《以下、「返ってくるのが怖い」と聴いた瞬間の僕の頭の中です》
★☆★
何が怖いんだろう?
①何点取れたかが分からないからかな?
②上手くいかなかったと思っているから、それを改めて数字で明示されるのが怖いということかな?
どちらにしても「その考え方は謎過ぎる」と突っ込んでしまおう。
★☆★
高校生に限らず小中学生でも、テストを受けたあと、その結果にドキドキしたり恐怖を感じたりすることがあるでしょう。かく言う僕もその1人でした。しかし、高校生になって、「自己採点」が習慣から“責務”に格上げされたとき、合否判定の基準が明らかでない試験以外の試験や模試の結果に、ドキドキしたり恐怖したりするのが「無意味」であることに気付きました。
《①何点取れたかが分からないから怖いという場合》
そもそもそんなことあるかな?とも思いますが、
試験時間が終了した瞬間に何点取れたかは決まっています。答案用紙が採点者の手から自分の手に戻るまでの間、点数がスロットのように動き続けるわけではありません。そういうギャンブルライクな感覚を楽しみたいなら「何点取れたかな♪ワクドキ♪」は有意義かもしれませんが、「すでに決まっているもの」に時間や体力や精神力を使うことに個人的には意味を見出せません。それよりも「今から変化させられるもの」にそれらは使いたい・使うべきだと考えています。
例えば、テスト後は何を知らなくて、何が出来なかったのかを鮮明に覚えているので、知識の補完に時間も体力も精神力も使いたいです。そうすれば「あの問題が出来なかった数十分前の自分」を変えることが出来ます。
《②上手くいかなかったと思っているから、それを改めて数字で明示されるのが怖いという場合》
テストが上手くいかなかったのは、テストを受けてた過去の自分のせいであって、今の自分のせいではありません。この考え方は大学受験・高校受験を控える中高生にはかなり必要だと僕は思っています。
例えば、模試を受けた後おおよそ2週間後に志望校判定が出ます。手元に届いた志望校判定がD判定だったとしても、それは2週間前の自分がD判定だっただけで、今の自分がD判定だということではありません。2週間もあれば、1日の活動時間を18時間としても18時間×14日=252時間も自分を変えられる時間・先へ進める時間があるんです。無論、模試後に何も変えようとせず、ただワクドキしていただけなら、今の自分もそのままD判定です。
ちなみに、A判定を貰ったとしても、今の自分がA判定だということにもなりません。
僕たちは絶えず過去をつくり続けています。なので、最悪な過去をつくるか最善な過去をつくるかは今の自分次第です。そしてその両方に対して「所詮過去」と思えるかどうかも、今の自分がどれだけ必死に行動してるかで決まるし、変わります。
最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。来週も宜しくお願い致します!