【時代に合った正しい判断をするためにも、学校で学んだ知識は必要というお話[公式LINE2023.09.23]】

【時代に合った正しい判断をするためにも、学校で学んだ知識は必要というお話[公式LINE2023.09.23]】

先日、棺のドライアイスによる中毒に関する記事を目にしました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023092101113&g=soc

この記事を見て、学校で学ぶ知識の重要性を、改めて感じました。

不謹慎な話になりますが、
例えば、記事のように、棺の中に顔を入れた状態で亡くなられている人を発見したときに、
もしも、棺の中のドライアイスを知らなかったら…また中学で学ぶ化学の知識を全く知らなかったら…「死者に連れていかれたのかもしれない!」と、思ってしまうかもしれません。

まさか、そんな風に思うものか?
たぶん、きっと、思ってしまうものです。

現代のように科学も発展していなければ、医学も無い時代。
人々は目の前で起こる数々の病に対して、何の所業か分からず、分からないから、神に救いを求めました。
また、平穏な日々の中で突如起こった自然災害は、その仕組みが分からないから、神の怒りだとしました。日本では特にそれらを「妖怪」と伝えてきました。

※日本などのアジア圏で伝承される「龍」が、欧米の「ドラゴン」と違い、翼が無く鱗がある理由に、龍が川の氾濫による洪水などの大きな水害を象徴しているからという話もあります。

人間は、「フィクション」を思い付くことが上手な生き物です。また、フィクションを共有し合うことができる生き物です。人間は、フィクションを共有し合うことで考えを統一し、団結し、チームをつくり、社会を築いてきた生き物です。
学校で歴史を学ぶなかで、日本史でも世界史でも、なんであんなに宗教が登場するのかは、そういうことです。

フィクションを創るのが上手な生き物が築いてきた社会だから、人間社会とは、事実とフィクションが混ざり合っているのが当然の社会です。
危険性を気付きにくい、デマ情報だと判断しにくい、事実なのに疑ってしまう、とても難しい社会です。

そんな社会だから、正しい判断をするために、知識は必要なのです。
ただの正しい判断ではなく、「生きている時代に合った正しい判断」です。

科学も医学も進んでいない時代なら、病や災害や事故を、“得体の知れないモノ”のせいにしてしまうのも仕方ありませんが、今の時代ではダメです。
先人たちが明らかにしてきた事実や自然科学のルール、そして今もなお開拓される事実や進歩し続ける科学技術など、それらから得られる知識を使って、「現代人」は物事を正しく判断をするべきです。

判断に必要な、最低限の知識は、中学までの教科書に載っています。
ちなみに、ドライアイスが二酸化炭素の固体であること(ドライアイスは商品名)、二酸化炭素が空気より重いことは、中1の理科の教科書に載っています。おそらく次回の定期テストの範囲です。

義務教育とは、今の社会で物事を正しく判断するための知識を蓄えてもらうことであり、その知識を使えるようになるためのトレーニングでもあると、僕は考えています。

塾生たちには、時間が許される限り、たくさんの知識を蓄えて、将来生きる時代に合った、柔軟で正しい判断をできるようになってほしいと思います!

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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