ココは田舎の学習塾#13第3回全日本ブレイキン選手権で“聞こえてきた未来”

2024年のパリ・オリンピックの正式種目となったため、ここ最近スポーツ番組等のメディアで頻繁に取り上げられるようになった「ブレイキン」。

本日1月23日(日)は、そのブレイキンの全日本選手権の決勝戦が行われました。

決勝戦の模様はYouTubeの配信で拝見していたのですが、

なるほど、そうなるか。と思えたことがありました。

それは、bgirlのオープンバトルでの決勝戦の中、選手の1人がムーブの中で失敗したことを、bboyである実況者が突くと、

それに対して(おそらく)ブレイキン未経験者である他2名の実況者が

「どこで失敗したのか、分からなかった」

と続けたのです。

この言葉から、ブレイキンの今後の「種目」としての扱われ方とその課題が少し見えてきた気がしました。

 

例えば、フィギュアスケートや体操は、演技の中で選手が「失敗したかどうか」については、誰が見ても分かり易いものです。

そのため、「何がすごいのか・何が素晴らしいのか」または「なぜ減点されたのか・なぜ負けたのか」ということが、少々の情報量で、ある程度納得させられる形で提示されます。

昨年のオリンピックでの活躍を皮切りに、一気に人気が急上昇している「スケートボード」も同様です。

フィギュアスケートや体操、そしてスケートボードは、技名や細かい難易度も分からない僕のようなド素人が見ても、「成功と失敗」は分かり易く、「勝ち負け」にある程度納得ができるのです。

 

しかし、ブレイキンはどうでしょう?

ブレイキンは1つの技について、やり方や形に「定形」はありますが、そこに「オリジナリティ」の添付や融合、つまりカッコよさと難易度を独自に解釈した肉付けを行っていきます。

また、技を失敗をしたとしても、それをどんな形でフォローしたかもジャッジの目には評価の対象です。だからbboy・bgirlは失敗を失敗に見えないようにするスキルも磨きます。

なので、ブレイキンを経験したことがない人や初見の人からすると、ムーブの中での失敗に対して「どこを失敗したのか分からない」ということが起きるのです。また、これと同様に「何がそんなにすごいのか分からない」「なんで勝ってるのか分からない」ということも起きるでしょう。

 

それが何か問題なのか?

「そんなのブレイキンを知っている俺らだけが分かっとけばいいじゃん?」

「分からない奴らは、見なければいいじゃん?」

と思ってしまっていては、それは大きな痛手です。

 

サッカーや野球はなぜ世界中でプレイされ、試合に多くの観客が集まり、各メディアが挙って報道し、そして資金が集まるのでしょう?

それは誰が見ても競争内容・勝敗決定内容が分かり易いからです。

だから多くの人が集まり、多くの金が動くのです。

これに対して、ブレイキンは「やったことがある人が見ないと分からない」というなかなか厳しい競技に位置しているのです。

ストリートの文化が多くの光を浴びることはとても嬉しいことです。しかし、このまま光を浴び続けるためには、その文化色をより「大衆向け」へと変貌させる必要があります。

でなければ、藤井聡太棋士という歴史的逸材の登場がありながらも将棋の競技人口を増やすことに苦戦している将棋界と、同様の失敗を辿ることになるでしょう。

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