【無知である自覚は楽しく生きるために必要】公式LINE配信メッセージ[2021.08.28]

いつもお世話になっております。ウィンドミルの榊です!今週も明るく元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

「無知である」という自覚は、楽しく生きるために必要

先日、久しぶりに卒塾生と話せる機会がありました。
卒塾して2年目、今は大学2年生で、獣医学部で動物の生態などについて何やら小難しい…専門的なことを学んでいるようです。数年後には「人工授精」を取り扱う仕事を探すだとか、社会的な需要も考えながら大学生活を送れていることに、少し安心しました(笑)
進路選択をしているときだったか、「学部とか関係なく心理学も受講してみるといいよ!」という僕の勝手な発言を覚えてくれていたのか(それともただの興味関心か(笑))、大学では心理学も受講しているようです。ただ、やはり内容は動物寄りで・・・
「動物は優位性のある遺伝子を残すためにどのようにパートナーを選んでいるか、人対人の心理学を用いて説明しろ」
という課題に対して、「自然分娩ができないブルドッグを例に出しました」とのこと。
ブルドッグが自然分娩できないなんて初耳で、そこから更に話してくれる内容にも
「ちょっと何言ってるか分からない。」
とリアルにサンドウィッチマン的な突っ込みを入れたくなるほど、全然知らないことだらけでした。

しかし、僕にはそれが気持ちいいほどに楽しい時間でした。理由はシンプルに「知らないことを知ることができたから」です。「知る」って楽しいんです!(笑)

哲学者ソクラテスの「不知の自覚」をご存知でしょうか?かつては「無知の知」とも呼ばれていましたが、正確にはそれが意味する内容からも「不知の自覚」と呼ぶべきとされています。

「不知の自覚」を僕なりにザックリ説明すると「君は何も知らない。知っているとしても、それは知った気になっているだけ。それを分かってないとダメだよ?」です(笑)

これは僕の体感的な考えですが、この世界に生きるほとんどの人たちは知っていることよりも知らないことの方が多いはずです。
犬が狼の亜種である可能性が高いこと、ブルドッグが自然に交尾や分娩ができないこと、それが人間の責任であること、知っていましたか?
「自分は知らないことだらけ!」それを自覚できているか否かで、「知ること」への楽しみ具合いは大きく違います。

小中学生や高校生の学校の勉強も似たところがあります。
「知った気でいる」「できる気になっている」の状態では、なかなか復習しようとも、学ぼうともしません。なので、勉強する上では「未だ知らない」という自覚が大事です。

そして、その自覚と同じくらい大事なのが「知ったことを披露する機会」です。会話や発表だけでなく、文で書いてみる、問題を解いてみるなど、知ったことを使用することで「知る楽しさ」は倍増します。

「自分はまだ何も知らない」と思うことで楽しく生きられる。それがソクラテスの言う「善く生きる」なのだろうと僕は思います!

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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