【塾のセンセイがやってはいけないことをやっている理由は主張と表現と誤配】公式LINE配信メッセージ[2021.11.27]

いつもお世話になっております。ウィンドミルの榊です!今週も明るく元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

おそらく塾のセンセイとしては御法度なこと

僕には、学習塾で働く上では御法度だと分かっていながら、必ず実践していることが1つあります。

それは、質問を受けた際に、分からないことがあったら「分からない」とキッパリ返すことです。

例えば、昨晩受けた「クルド人問題」についての質問や、先日あった共通テストの平行四辺形の問題の質問、高校の不定積分の質問など。分からない質問には「分からない!知らない!」と即レスポンスをするのです(笑)
もちろん、そのあとで時間をもらって考えたり調べたりして、改めて質問内容に回答をします。

しかし、これは塾のセンセイとしてはかなり御法度なことではないかと僕は考えています。なぜなら、塾生のどんなジャンルの質問にも即回答できるのが「塾の先生」だと自分の中で定義しているからです。
僕の知る限り「塾の先生」の1日は、朝昼のうちに営業活動や成績処理やカリキュラム修正などを進め、そして夕方からの授業のための予習や入試問題の分析等もしています。予習や入試問題の分析では様々な角度からの質問に即回答できるように準備します。なので、質問に対して「分からない」と返すのは御法度なのです。

では、分かっていながらなぜそんな御法度を僕はおかしているのか?
それには3つの理由があります。

1つは「分からないことは、分からないと言っても良い」ということを主張するためです。
「分からない」と言うこと若しくは分からないことがある状態を、子ども大人問わず、醜態だと考えている人は少なくありません。そこに早いうちから(子どものうちから)一石を投じておきたいのです。「分からないことがあるのは、人として当たり前のこと」だと。
だから、すぐに解けそうにない問題の質問には当たり前のように「何これ?さっぱり分からない!」と塾生の目の前で返します。

もう1つは、その「分からないこと」への対応の仕方や行動量を、質問者である塾生に見てもらう(体感してもらう)ためです。先述の通り、「分からない!」と返したあとは時間をもらって調べたり考えたりします。もちろん、答えが出るまでです。奢りある言い方で恐縮ですが、「勉強とはこうするものだ!」という主張をし、表現をしたいのです。

そして最後の1つは、上記2つの理由を「誤配」させるためです。ここでいう誤配とは、質問をしてくれた塾生だけでなく、そこにいた他の塾生にも「分からないと言っても良い」「分からないことは全力で調べて考える」という姿勢や主張や表現を、目に入れ、耳に入れ、少しでも記憶してもらうことです。この「誤配」の捉え方・考え方は東浩紀さんのものです。

※東浩紀:哲学と情報社会論を専門とする、批評家で作家で、ちょっと変わったおじ様。

この「誤配」の積み重ねが、塾生の「人としての在り方」に少しでも影響を与えられたら良いなと考えています。

分からないことがあるのは当たり前のことで恥ずかしいことではない。そして、体力と思考力と時間を使っていつでも「知の吸収」はできる。
ここから「完璧な人間なんていない。完璧は目指せても、完璧である必要はないかもしれない」ということに気付いて、その上で塾生なりの人生観を見出せるようになったら良いなと思っています!

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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