【何かを演じられることの必要性】公式LINE配信メッセージ[2023.05.06]

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いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です!今週も明るく元気に通塾してくれた塾生・体験生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

何かを演じられることの必要性

昨日は、塾生(小学生)が所属するチアダンス教室のリサイタルに行って参りました!
驚くことに僕が足を運んだ午前の部のチケットはすでに完売しており、およそ600席近くあるホールは満席状態でした。映画館で一番大きなスクリーンの客席数でも350席程度。それを超える人の量だったので案の定、“人酔い”してしまいました(笑)
しかしながら、子どもたちの明るく元気いっぱいのパフォーマンスのおかげで、開演後、人酔いなんて秒で吹き飛びました(笑)
パフォーマンスは終始、元気いっぱい笑顔いっぱいです!時にはアクロバティックでパワフルに!時にはしなやかなフローでエレガントに!600近い客席を秒単位で魅了し続けました!
「最高」以外の言葉が見つからないほど、最高な時間を過ごすことができました!ご案内して頂いた保護者様に心から感謝いたします!
それから、出演した塾生もお疲れ様でした!

さて、ここからはそのリサイタルからの帰り道で考えていたことです。
ちょっと哲学的かつ自己満的な考えなので「そういう見方もあるのね~」程度に読み流してください(笑)

今回のリサイタルで、個人的に注目していたポイントは「演じる姿」です。
チアダンスなどの「ダンス」も「演劇」の1つだと僕は捉えています。観客に自分の演じている人・モノを身振り手振り、そして表情を使って伝える、台詞の無い「演劇」です。

演劇を見せる側は、観客に自分の演じている人・モノ以外の情報を伝えてはいけません。
たとえ怪我の痛みを抱えようが、何か心配や不安を抱えようが、それが伝わってしまう姿や「それに耐えて頑張っています」という姿を見せてはいけません。演劇の中に別の世界観が生まれ、演劇ではなくなるからです。

僕が頭までどっぷり浸かり込んでいたブレイクダンスの世界でも、疲れた表情や息切れしている様子を見せることは御法度で(笑)、常にクールな姿を演じることが求められていました。

世界観に沿って何かを演じられることは、現実世界においてとても役に立つことだと僕は考えています。

小説や映画などで「人は誰しも仮面を被っている」というありふれた台詞がありますが、この仮面のことをユング(心理学者)の概念では“ペルソナ”と呼び、「自己の外的側面」のことを表します。
ただ、小説や映画などの「仮面」は“本性を隠す”というニュアンスが含まれがちですが、ここでの仮面=ペルソナにそのようなニュアンスはありません。
平たく言えば、周りに合わせたり空気を読んだりしながら、その場に合わせて声のトーンや表情・身振り手振りを上手く使い分けられることでしょうか。

これを能力とまでは言いませんが、人間社会を生きるなかでは非常に大切なものです。

チアダンスのリサイタルに出演していた子どもたちの笑顔は、シンプルに楽しんでいた笑顔なのか、演者としての笑顔なのか、それとも両方が混ざっている笑顔なのか、まったく分かりませんでした。「ペルソナを上手に使った!」と言っても良いかもしれません(笑)。
そのため、出演していた子どもたちは、大勢の観客たちを最高に楽しませることができたのだと思います!

改めて、最高過ぎました!

最後まで目を通して頂きありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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