いつもお世話になっております。ウィンドミル菊池教室の榊です。今週も元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!
【「フレネミー」という言葉でも成長の材料というお話】
先日、聞いていたラジオ番組の中で、20代の女の子が「フレネミー」という言葉を遣っていました。
さて、保護者の皆様、このフレネミーという言葉の意味や、どのような場面で遣われているかをご存知でしょうか?
「フレネミー/frenemy」とは「フレンド」と「エネミー」の混成語で、「友でもありライバルでもある存在」または「友であり敵である存在」を表します。
僕はてっきり10代・20代の間で使われている「若者言葉」で、日本語での造語だと思っていたのですが、調べてみるとどうやらアメリカでは1970年代後半にはその使用が、イギリスでは1950年代にはその存在が確認されているようです。
また日本においては2010年代に雑誌やドラマなどのメディアを通して使われていたようです。2010年代であれば僕も一応は若者の類だったはずですが、社会人入りの洗礼を受けていた時期で、生活に余裕も無かったので、「流行り言葉」についてはだいぶ無知だったみたいです。
さて、そんな復刻流行り言葉「フレネミー」ですが、今の10代・20代の間では「友達なのに、コチラの好感度を下げたり、必要も無く気分を害させる人」「友達のふりをした敵」を指すのだとか。先ほども中3生の女の子にも確認すると、やはり、そうらしいです(笑)
…いや、それはもう、ただのエネミーだろ。
と突っ込みましたが(笑)、荀子の性悪説よりも孟子の性善説の方が広く浸透しているように思える日本だからこそ、そんな「フレネミー」の使い方なのだろうと勝手に解釈しました(笑)
これまでも多くの言葉の誕生と変化と消滅を、様々な形で見聞きしてきた…と思います。
今では、それらの言葉を使うか否かは関係なしに、誕生と変化の度に、それらを調べて習得しておく必要があったと思うのです。個人的に、「言葉を遣う」という行為が最も現代人らしく、最も現代人臭い行為だと考えているからです。もちろんここでの言葉には点字も手話も含めています。古代人でも一部の哺乳類も鳥類でも「言語を遣う・遣える」ことは確認されています。しかし、複雑さの程度ゆえか、それらは明らかに原始的で、「現代的」ではありません。
「人ならば言葉を遣え」
僕が“人として”どう生きようかと考えた時の答えの1つです。言葉を遣えたから科学が発展し、平和が追求され、今のこの生活があります。話は壮大になり過ぎていますが、大事な世界観だと考えています。
夏季講習中、小学生に「敬語」を教える中で「どんな言葉を遣えるかが人としての魅力になる」「遣う言葉で人を魅了できる」とお話しました。言葉によって世界が築かれたように、「何をどう表現できるか」という表現の世界の構築も同様です。言葉での表現の幅と深さが広がれば、たとえ表面上でも「成長した」と周りは見なします。言葉によって人は人として成長していくのです。
マジメに勉強していると実に多くの言葉に出逢えます。今の世界を築いたそれらは、これからの自分をより魅力的に成長させる材料です。
フレネミーだろうと「エモい」だろうと、塾生たちには言葉の収得にはちゃんと勤しんで欲しいと常々お伝えしております✨
最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。
来週も宜しくお願い致します!