【期待しちゃうのは、本能。】公式LINE配信メッセージ[2021.11.06]

いつもお世話になっております。ウィンドミルの榊です!今週も明るく元気に通塾してくれた塾生の皆さん、送迎など通塾をサポートしてくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました!

期待しちゃうのは、本能。

目を通して頂きたい記事があります!

https://www.sady-editor.com/n/n49540cbd6421

[コチラの記事] 先日、たまたま発見したnoteです。無料で読める内容だけでも、大人として、教育業界に心身・時間を投じる身として、改めて学べることが多かった記事です。

しかし、こうして欲しい・ああして欲しい・そうすべき、というような「期待」を無くすことは本当に可能なのでしょうか。「見守る」だけで本当に満足できるのでしょうか。僕は自分が生き物である以上、それは正直難しいと考えています。「期待」の根源は伝統や習慣などの社会性の継承の願望であり、継承とは遺伝させることと同意だと考えているからです。
人間が生き物である以上「自分の遺伝子を広く残そうとする本能」は必ず備わっています。経験則の枠内だけで活動し思考を巡らせる人間という生き物は、「期待」という考えと言動で、自分が好ましいと判断してきた社会性を次の世代にも受け継いでもらおうとします。それを「遺伝子を残そうとする本能」の1つと捉えることができると僕は考えているのです。「期待≒遺伝子を残そうとする行動」であるなら人間が期待をすることは至極当然のことで、それを無くすなんてとても難しいことではないのか…というところで、今回は思考が尽きました(笑)
まだまだこの先も考えなければならないことは沢山ありそうです。

前出の記事とそこから考えたことを踏まえて、「期待することは決して悪いことではなく当たり前のことである」という大前提のもとで、「己の完全投影」は期待してはならないと改めて思いました。

僕の好きな考え方の1つに次のようなものがあります。
“こうなるべきだ”と考えるのではなく、“こうなったらいいなぁ”と考える
どこかの企業の社長さんか誰かのインタビューで見聞きした言葉だったと思いますが…詳しくは忘れました(笑)
何かフワッとした頼りない感じにも聞こえますが、きっとその方の会社では、部下や後輩には強引で命令的な言葉遣いで「指示」を出すのではなく、お願いベース・提案ベースの言葉遣いで「示唆」しているのではないかと想像できるのです。

※もちろん、強く言わないと伝わらない場面ではそれなりの強い口調や言葉遣いになるでしょう。何事もケースバイケースです。

必要な情報を与えながら、最終的な選択権や決定権は本人に委ねている。どこか、記事の「期待しないで見守る」という考えに近いものを感じます。
もう1つ、僕の好きな考え方に「みんな違って、みんなどうでもいい」という考え方があります。これは最近テレビでも見かけるようになった落合陽一さんの言葉です。

※落合陽一…睡眠時間2~3時間程度の筑波大准教授でメディアアーティストで3児のパパさん。

文字だけ見ると嫌味ったらしく見えることもあるでしょう。しかし、これにも前出した「期待しないで見守る」に通ずるものを感じます。ちなみに落合さんは子育てについて「五感をフルに使ってやりたいことをやりたいだけ体験させたい」と考える方です。

期待せずにはいられない、指示を出さずにはいられない。だって悩んで欲しくないし苦しんで欲しくないのだから。それでも、何度か躓いて転んでみないと、立ち上がり方は身に付かないものです!

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました!
来週も宜しくお願い致します!

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